慈眼院の変遷

政基公旅引付
[政基公旅引付(まさもとこうたびひきつけ)

 文和2年(1353)南北朝の戦火で炎上した後、後村上・後亀山の両帝の勅命で再興された。
 文亀元年(1501)より、前関白九条政基が荘園の直務支配のために慈眼院に滞在し、「慈眼院日記」(宮内庁蔵)を記す。
 天正13年(1585)豊臣秀吉の紀州鎮撫の時、金堂、多宝塔を除く一山が炎上した。
 慶長7年(1602)豊臣秀頼が一山を再興。奥之坊・山之坊・明王院・戒躰院・稲之坊・中之坊(現・慈眼院)・下之坊(現・日根神社社務所)・東方寺・上之坊・明神社・観音堂・毘沙門堂・護摩堂などの諸建造物がこの時の造営によって再建された。